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「スティーヴ・ウィンウッドの最高な歌を取っ払うと、今回のアルバムみたいなサウンドになるんじゃないのかな。」


鍵盤弾きとして、CORNELIUS、LOVE PSYCHEDELICO、Caravan、 cocco、などで活躍する堀江博久がソロアルバムをリリースした。pupaやthe HIATUSというバンドにも在籍し、輝かしいキャリアを持つ堀江だが、意外にもソロアルバムはこれが初となる。ジャンルの垣根を超えた活動をする彼がつくったソロアルバムは一体どんなものなのだろうと考えたとき、NEIL AND IRAIZAで曲を書きVocalをとっていたあのテイストを想像していた人も少なくないのでは。しかし、届いたアルバムは完全インストゥルメンタル、ほぼ全篇にわたって打ち込みワークによって完成されたものだった。たくさんの愛すべき楽器達と戯れながら出来上がった作品「AT GRAND GALLERY」、自身の幅広い音楽性そのままに表現された珠玉の一枚はどのようにつくれられたのだろうか。アルバムがつくられた堀江の自宅スタジオで話をきいた。

「STARSHIP IN WORSHIP」のアナログを中古レコード屋で見つけて買って聴いて、これか、と思った。(堀江)

OY:アルバムを聴いて、どうして堀江さんからこういう音楽が、

堀江:出てきたのかってことね。今やってる音楽活動とは違う感じに思われるんだけど、根っこの部分とか、自分が何かつくろうっていうルーツや音ってなんなんだろう?って探っていくと、意外かもしれないけれど、クラブで鳴ってる音、80年代後半から、90年代前半にかけて、渋谷のTHE ROOMとかDJ Bar インクスティックとか、あとは下北にZOOがあってその後Slitsになって、そのころの音とか質感とか雰囲気とかに行き着くんだよね。
 
OY:バンドカルチャーの影響というより、クラブカルチャーからの影響が大きいんですね。

堀江:そうかもしれないね。当時、特に僕らの周りのシーンの人たちは、瀧見憲司さんのDJがすごく好きで、それにも影響されているところはあるかもしれない。音の質感とかさ。その少し前に自分は、今でもモッズ・シーンをオーガナイズしている黒田マナブさんに誘われて、”The I-spy”に加入し、そのメンバーたちでつくった”STUDIO APES”っていうACID JAZZから派生したファンクをやっていて、それがインストを中心にしたバンドだったんですよ。
 
OY:それは聴いてみたいです。

堀江:いいよいいよ。ウチだからすぐ持ってこれる。これが1994年かな。それとこの”EL-MALO”の1st。
 
OY:EL-MALOもやってたんですか。

堀江:“EL-MALO”の1st「STARSHIP IN WORSHIP」に、僕が書いた「Apes-Ma」っていう曲が入ってて、これを聴くと自分のソロアルバムと印象がそんなに変わらない。っていうか全然変わってなくってびっくりした。この頃24歳くらい。今回突然、自分がインストアルバムをつくりたくなったってわけでもなくて、こういう作品が出来上がる根っこが、20代の頃からけっこうあったのかなぁ。そういえば、こないだ「STARSHIP IN WORSHIP」のアナログを中古レコード屋で見つけて買って聴いて、これか、と思った。このアルバムは”STUDIO APES”のメンバーがけっこう演奏してるのね。
 

OY:”STUDIO APES”のメンバーってどんな人たちだったんでしょう。

堀江:パーカッションの及川浩志くんは”CENTRAL”っていうサルサバンドやってたり、ドラムの和田卓造さんは数多くの”モッズバンドやWack Wack Rhythm Band”やってたりだね。ベースのキタダマキは同い年でセッション・プレイヤーとして、様々なシーンで活躍している。
 
OY:「Apes-Ma」、Funkyな曲ですね。いわゆる”EL-MALO”のイメージと違うなぁ。

堀江:初期の”EL-MALO”はいわゆるロッカーな感じではないんだよね。アシッドというか。この曲は”EL-MALO”の柚木隆一郎さんがassociate produceで、柚木さんからcaptain beefheartやpeter iversやいろんなサイケなレコード、ヒップなアーティストをいろいろ教えてもらった。それまではずっと多摩美で、ギタリストの塚本功くんとかと一緒に”ピンチーズ”というR&Bやファンクのカヴァーバンドをやってた。ANIMALSからKC and the Sunshine Bandまで。それで、20歳くらいの頃ようやく自分でも曲を書くようになって、そこでさっきの「Apes-Ma」なんかも書いたんだけど、それらを”特殊ファンク”と命名して、曲を気に入ってくれたのが柚木さんだったの。こう考えると柚木さんの影響も相当あるなって(笑)

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それ以上のもの書けないと思うんだよね、って。もう出尽くしちゃったって思って、若いのになんかあきらめていたんだよね。(堀江)


OY:そういうルーツがあって、今回のソロアルバムになったと。それにしても「AT GRAND GALLERY」バラエティーに富んだアルバムですよね。
堀江:インストだけどね。
 
OY:みなさん、どういう作品を出すと思ってた、って言ってました?

堀江:どうだろ?ビートもそんなにないピアノの弾き語りとか、あと”NEIL AND IRAIZA”のイメージで曲をしっかり書いた歌ものだと思ってたり、なのかな?
 
OY:そうなんです、僕もNEILの線でくるのかなと思ってました。

堀江:いろいろ言われたんだけど、曲をぼんやり自然につくってると、機材と戯れるというか、機材やソフトでも買うとまずいじるじゃない。そのときの音を残しておこうかなっていうスケッチからまず始まるんだけど、そうするとメロディーとかじゃななくなってくるっていうか。ギター弾いて曲つくろうっていう感覚じゃないところの、音の選び方かな。今回のソロアルバムは別に誰に向けてつくったわけでもなくて、自分はこんな感じ、根っこはこんな感じ、みたいなものなのね。で、こういうものが出てくるルーツはなんだろうな、って考えた時に、そういえば”STUDIO APES”とかで書いてたものと変わらないな、変わってないなって思ったの。
 
OY:「At Grand Gallery」からは、全編打ち込みのインストなんだけど、ソウルの雰囲気というかテイストを感じてはいたんですよ。

堀江:そうそうそう、それが自分の中の根っこにあるというか、それがちょっとコンプレックスに近い部分もあって。
 
OY:コンプレックスですか?

堀江:高校とか大学の時代にブルースとかR&Bとかのカヴァーをずっとやってて、それよりも良い曲が書けるわけないだろうっていうのが深いところにあったのね。だからその頃一緒にやってた仲間とかが曲書いてきても、ぜったいStevie Wonderより良い曲なんか書けるわけねーじゃん、って言ってよく却下してたんだよね。そんな風に説き伏せてオリジナルの曲をやらなかった、というかやらせなかった(笑)。
 
OY:高いクオリティーを求めるがゆえの・・・

堀江:それ以上のもの書けないと思うんだよね、って。もう出尽くしちゃったって思って、若いのになんかあきらめていたんだよね。80年代の後半っていうのは退屈な時期でもあるっていうか、まぁ本当にアンダーグラウンドなところではさ、80年代中盤から後半にかけてハウスが出たりとかHip Hopも出始めたりとか、そういう新しいシーンがあったんだけど、自分は全く追いきれてなくって、オーバーグラウンドではそういう刺激的なものはなかったりするから。その後90年代に入って、オルタナ以前のミクスチャーとか、いろんなジャンルが混ざったもの、たとえば、Beastie Boysがバンドサウンド、パンクロックに戻りつつHip Hopとサウンドが融合させたようなものを出してきてメジャーなシーンも面白くなってきたんだよね。
 
OY:「Check Your Head」から「Ill Communication」。

堀江:うん。CLUBのサウンドとバンドのサウンドがだんだん近くなって、そう、ライブハウスじゃなくて、CLUBで演奏するっていうシーンもあって、そういうスタイルが増えてった時期だった気がする。ちょうどこの頃に、アイゴン(會田茂一)とイッチャン(low IQ 01)の”アクロバット・バンチ”に誘われたり、”STUDIO APES”は西麻布のyellowや下北沢のSlitsでLIVEやってたり、Slitsは毎日違うジャンルでいろんなイベントがあったりして。
 

OY:そういうバックボーンとフィルターを通ってきた上でサウンドスケッチをして曲をつくっていったら、

堀江:実は今まで話した頃と変わってなかった。それ以降のNEIL AND IRAIZAの時はあまりに歌に自信ない中で、”歌おう”と思ってつくっていたから、それとはちょっと発想が違うというか。
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